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2011年3月9日水曜日

日本人的思惟模式(日本人の発想)

日本人の考え方や、発想はおかしい。
そもそも戦争を発動したのが、他ではなく日本人なのに、
被害者面する。
核戦争に賛成するとは言っていないが、
軍刀で無数の普通の市民を斬ったり、
中国で人体試験、しかも生きた人間、
そういうことならやっていいわけ?
戦争そのももはいけないのに、日本人は戦争の手段に
過ぎない核武器ばかり強調し、本質をすり替えている。
戦争に道徳あるのか?
真珠湾攻撃は奇襲だった。普通の戦なら勝てないわけだから。
核戦争でなければ日本に降伏してもらえないのだから。
理屈は同じ。
アメリカ人に謝罪してもらいたい?
お前等の先祖のやってることだろう?
今のアメリカ人に請求できるなら、われわれ中国人も今の日本人に要求していいわけ?

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「米国代表が来ると聞き、とても嫌な気持ちでした」。米英仏代表の出席に歓迎ムードが漂う中、埼玉県の遺族代表として6日、参列した加良谷(からたに)恵美子さん(67)は複雑な心中を明かした。(毎日新聞)</span>
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/atomic_bomb/
広島原爆の日 米代表が来ても…父母亡くした女性、傷今も
8月6日12時57分配信 毎日新聞

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米代表らも出席する平和記念式典の会場を歩く加良谷恵美子さん=広島市中区の平和記念公園で2010年8月6日午前5時57分、小川昌宏撮影
 「米国代表が来ると聞き、とても嫌な気持ちでした」。米英仏代表の出席に歓迎ムードが漂う中、埼玉県の遺族代表として6日、参列した加良谷(からたに)恵美子さん(67)は複雑な心中を明かした。
【写真特集】あれから65年 広島原爆の日
 爆心地から1.1キロの自宅で被爆した。父はほぼ即死。母も約1カ月後に亡くなった。当時の記憶はないが、「恵美子はお母さんに抱かれておっぱいを飲んでいた」と姉から聞かされた。自身も右側頭部に重傷を負い、今も変形したままだ。
 広島の祖父母宅で育てられた。両親の記憶すらない寂しさを常に感じていた。
 結婚で転居した埼玉県で約30年前、被爆者団体に加入。04年にはスペインで被爆体験を証言した。5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、日本被団協の派遣団として訪米を打診されたが、「アメリカにだけは絶対に行きたくない」と固辞した。
 「核兵器のない世界」の実現を願う気持ちは共通だ。それでも加良谷さんは米国を許すことができないという。「愛情も知らぬまま両親を殺された。生きていたらどんな愛を注いでくれたんだろうと思うから……」
 広島には両親の写真を胸に忍ばせて来た。「外国の方のことは関係ない。ただ両親と亡くなられた方々のご供養だけを祈りに来ました」。式典でも駐日米大使には目を向けようとはしなかった。【豊田将志】
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